六十にして六十化す

六十にして六十化す

「淮南子(えなんじ)」に「蘧白玉(きょはくぎょく)、行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す」と言う名言がある。これは人間に通じてこないとわからない。年を取るにつれて連れて身に沁(し)む言葉だ。人間は五十歳にもなればある程度人生の結論に達する。と同時に心のどこかに自らを赦す、肯定しようとする意志が働く。その時に「五十にして四十九年の非を知る」、今までの自己を一度否定する事は非常に難しい。だが過去の非を知り、自分が自分に結論を下す事は、新たにやり直す事であって、五十になってやり直し、六十になればなったでまた変化する。いくつになっても溌剌として維新してゆくことだ。

もう五十五になるのですが、五十四年の非を知り自己を否定する困難に挑みました。中々全否定するまではいかないのですが、まさしくいくつになっても自己を維新してゆく日々を毎日目指して参ります。またまたぎゃんばります!!